【イタリア旅行雑記 4】ローマ地下鉄とストライキ


2010年5月2日〜8日

ローマ4大聖堂のうち、唯一アウレリアヌスの城壁外にあるのが、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂である。
テリミニ駅から地下鉄B線に乗って6つ目の駅サン・パオロ駅で降りる。地下鉄での犯罪が多発していると聞いていたので、十分注意をして乗車した。
地下鉄には改札があった。その時はコロッセオ駅からの乗車で、ホームで電車が来るのを待っていた。電車が入線して速度を落とすと、
車両全体がペイントの落書きで埋め尽くされているのが目に入った。日本では考えられない光景に驚く。車両のもとの色が何色だかわからないほどだった。
あまり乗りたくなかったが、勇気をだして乗車する。車内の雰囲気もどこか暗く、車内の人々の冷たい視線を一身に感じた。ピンと緊張の糸が張り詰め、
人が移動するたびに身を固くしていた。2つ目の駅で弾き語りのおじさんが乗車してきて、ギターを弾きながら歌を歌いだした。これが契機となり、車内の視線 はこのおじさんに集中することになり、冷たい視線から解放された。ローマ市内には地下鉄が2線しかない。遺跡が多いため地下を掘れないためである。行きた い場所によっては非常に便利だが、治安を考えると夜遅くなどは避けたほうがよいと思う。
サン・パオロ駅で下車して、聖堂まで歩く。教会の正面の入口がわからず、聖堂をほぼ1周する。そのおかげで聖堂の大きさが実感できた。
この聖堂はキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝によって、聖パオロの墓の上に建てられた。市内から外れているせいか、外の喧騒も少なく、静けさが心 地よい。
回廊も美しく、他の聖堂に比べると派手さがなく落ち着きのある感じがする。あまりにも心地よくていつまでも帰れない。
この聖堂で初めて懺悔をしている様子をみた。神父が懺悔小屋にいて、迷える子羊が跪き、小屋の脇から小声でひそひそ話をしていた。神父からは子羊の顔は見 えないが、
礼拝に訪れている人からはその両者の表情を窺える。もっと人目のつかないところで行われているものだと思っていた。凝視するのは失礼かと思いつつも初めて みた光景なので、なかなか目が離せない。神父は親身な顔で壁に耳を寄せ、子羊は俯き加減で真摯な顔をしていた。懺悔の存在は知っていたが、実際に現代も行 われている様子をみて、改めて教会と信者の強い関係を実感した。イタリアの自殺率が低いのは、
懺悔が一因になっているのではないだろうか。利害関係がなく、無償で親身に話を聞いてもらえるだけでどんなに救われることだろう。
日本がキリスト教国家だったら自殺者も少しは減少するのではないかと思う。






サン・パオロ大聖堂から駅に戻り、改札を抜けると、警官に止められた。また警官だ。今回の旅は警官と相性が悪いらしい。
「どこへいく?」といわれ、「チルコ・マッシモ」というと、イタリア語で話されて、よくわからなかったが、最後の単語だけ聞き取れた。
その単語は「ストライキ」。つい先ほどこの地下鉄に乗ってここまで来たのに、昼ごろ急にストライキになるなんてイタリアらしい。
駅を出ると張り紙が貼ってあり、ストライキの終了時間までご丁寧に書かれていた。ストライキというものは、労働者側の要求を経営者側が認めないために、
労働者側が労働拒否をして、抵抗するものだと思っていた。だから、いつ要求が認められるか、もしくは労働者側が妥協するのか、知り得ないものだと思うのだ が、
終了時間が明記されている。ただ労働者がさぼりたいがための名目上のストライキかと思う。そんなことを考えていても、
ストライキが終わる16時まではまだ4時間以上もあるので、市内に戻る手段を考えなければならない。まずタクシー乗場を探したが、駅周辺にはなさそうであ る。
徒歩で歩ける距離ではない。残るはバス。たまたまガイドブックで、サン・パオロ大聖堂から市内に戻るバスは271路線で、サン・パオロ大聖堂が始発なの で、
座れて楽だという記事を読んでいたのを思い出し、271のバスが停まるバス停を探した。
途中、道を歩いていた女の子にタクシー乗場があるか聞いてみたが、駅周辺にはなくて、タクシーに乗るには近くの駅にでなくてはならなくて、
歩いて行くには距離があると教えてくれた。271路線のバス停を探していたら、サン・パオロ大聖堂の前まで戻ってしまい、
ちょうどそのバス停は大聖堂の目の前にあった。時刻表をみると、15分後にバスがやってくる。イタリアなので、時間通りに来る期待はしないでいたが、
予想に反して、オンタイムで来た。はじめてローマのバスに乗ったが、次の停留所の案内がまったくない。車内表示もなければ、マイクでのアナウンスもない。
窓の外を流れる風景をみて、判断しなくてならない。バス停に停まると、バス停の名前を見て確認できるが、日本と同じように、
下車するにはボタンを押して知らせなくてはならないので、通り過ぎてしまう恐れがある。バスは混んでいなかったが、バス停ごとに下車する人がいたので、
毎回いつでも下車できる態勢を整えて、バス停を確認した。便利ではあるが、地下鉄もバスももう少し気軽にのれればいいのに。                              
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